私はかつて確かに、幻想郷に恋をしていた――

2025/5/29
 ――そして、それはきっと宝鐘マリンも。

 なにをいまさら、という話なのですが、今から5年も前の2020年6月に出た東方アレンジ同人CD「#幻想郷ホロイズム」をこの度購入いたしまして、最初から最後までしっかりと拝聴いたしました。結論から申し上げますと、私が宝鐘マリン推しだからということもありますが、それを差し引いても名作です。エモの塊すぎる。私が人生で買ったアルバムCDの中で最も心に響いた作品かもしれません。
マリン船長が幻想入り
 この作品を端的に説明すると、「配信中に突然トラックに突っ込まれたマリン船長が幻想郷に転移してしまい、さまざまなキャラクターと関わりながら幻想郷を航海することになるのだが、最終的には来た時と同じ方法でこっちの世界に帰ってくる。」という内容のボイスドラマが章分けで入っており、その章の間に東方アレンジ曲がいくつか挿入されている、というテイストのアルバムです。
 入っている東方アレンジ曲は「シアワセうさぎ」「Help me, ERINNNNNN!!」といった超王道曲のホロライブアレンジ版と、「ホイホイ☆幻想ホロイズム」「キャプテン・マリンのケツアンカー」といったハイテンションで盛り上がれる曲、そして「イヤホンロマンス」「Over the Border」の感傷に浸らせてくる曲のバランスの取れた6曲。
 つまりこの「#幻想郷ホロイズム」というアルバムは、単にボイスドラマが入った東方アレンジCDというわけではなく、かつて幻想郷に憧れを抱いていた人たちが持っている淡い記憶を、マリン船長が現地入りして追体験してくれる、そういうアルバムなのです。
 中学高校を東方厨で過ごしたのみの者であれば、1度くらいは自分が幻想入りしたらどうなるか、という妄想を繰り広げたことがおありでしょう。無いとは言わせないぞ!自分は気づいたらどこにいて、誰から最初に発見されて、どこで保護されることになり、誰の手下として可愛がられるようになるのか、という一部始終を、文章にしたかしないかは問わずとも考えたことぐらいはあるでしょう。私は文章にしたぞ。しかも12話まで書いた。
 逆に言えば、そういった幻想を抱いたことがなかった人には、この作品が持つ熱意が伝わることはないのかもしれないと思います。
 また、パッケージにも大きく描かれているように、このボイスドラマは主人公・宝鐘マリンで突き進んでいきます。霊夢は全く出てきません。そしてマリン船長は単に東方案件としてあてがわれたVtuberというわけではなく、生粋の東方オタクなのです。つまりオタク側の視点も持っている。しかもかなり演技派。登場人物の中で一番演技がうまい。まあ船長だけ本人役だからってのもあるかもしれないが。どういうことかというと、船長をよく知らない方からすると、単に案件だから、台本だからはしゃいでいるようにも見えるということですので、これもまた熱意が伝わらない要因になります。
 私は、かつて幻想郷に幻想を抱いていた者であり、なおかつ宝鐘マリンのガチ恋勢であるために、これが非常によく刺さったのだと思います。
幻想郷に抱いていた幻想
 東方好きが東方好きになる端緒といえば、キャラクターが可愛いからでしょうか。曲がカッコいいからでしょうか。それとも、面白い二次創作があったから?
 いずれも要因だとは思いますが、東方を勧めてくれた友人という存在は、中でも意外に大きなファクターではないでしょうか。
 そう、インターネット老人が東方を語るときには端折られてしまいがちなのだが、東方にハマった当時を完全に思い出すとなれば、一緒にハマっていた友人の存在も欠かすことができないはずなのです。高校のとき、風見幽香がものすごく好きだという友人がおりまして、彼とはもう15年近く会っていないのだが、風見幽香を見ると未だに彼を思い出します。つまり、私の中の幻想郷では、彼が風見幽香そのものとして存在しているというわけです。
 これは東方Projectが持つ可塑性みたいなもので、ひとえに幻想郷といってもその人が歩んできた道のりによっては不思議に形が変わっていることもあるのです。
 このCDのトラック7に収録されている「イヤホンロマンス」という曲が、このアルバム最大級のエモなのですが、マリン船長の心の中にある幻想郷を非常にうまく描き出していると思います。

空を教えてくれた貴女 幻想みたいな境界飛び込むの
 空を飛ぶ程度の能力といえば、誰が思い当たりますか?
 きっとその時滞在していた幻想郷では、マリンが魔理沙で、彼女が霊夢だったのでしょう。
 一緒に入り込んだ幻想郷という大きな箱庭の中でコマを動かすおままごとをしていた微かな、しかし確かな記憶。
 どうしてこの作品のボイスドラマ部分に、霊夢が出てこないんでしょうか。

 それは簡単な話。
 船長の霊夢は、船長の中の幻想郷にしかいないからです。

…ねぇ ホントは追いかけたいのよ
 この作品のボイスドラマ部分では、明らかに「幻想郷」と呼んだ方が伝わりやすいであろう場面がいくつもあるが、船長は頑なに東方と呼び続けます。なぜでしょうか。

 それも簡単な話。
 船長の幻想郷は、船長の中にしかないからです。
 船長にとっては「東方Project」と「幻想郷」は明らかに別個のものであり、心から取り出して懐かしいと楽しめるのは前者だけなのでしょう。

 これぞ#幻想郷ホロイズム、イヤホンロマンスのエモエモのエモの部分。
 自分の幻想郷で描いた思い出は、よその幻想郷には持っていけないのです。

 (※とまあ、青山は勝手にエモがっていますが、曲にも脚本にも権利表記に船長の名前がないため、船長本人が入れ込みたかった内容ではないのかもしれません。とはいえ主役だから何の意見もなく受け入れたわけではないとは思うけど。ところでこのアレンジ元の選曲とか、船長の意見はどれくらい反映されているんだろう……。4曲も入ってるから、どれもなんかしらのエピソードがありそうだが。)
幻想入り物語の終着
 幻想入りの妄想をするとき、その一番の目的はなんだと思いますか?そう、「幻想郷に行くこと」ですよね。幻想郷にいって、自分の推しキャラとキャッキャしたいから、懸命にそういった妄想をしていたわけです。
 ひるがえってこのボイスドラマをよく聞くと、船長は単に配信中変な異変に巻き込まれたというだけで、幻想郷に行きたいとは最初から全く考えていないのですね。そして、最初こそ幻想郷に興奮していたものの、次第に現実世界のことを考えはじめ、あまつさえがっかりして、帰る方法を模索し始めたりします。
 これは、幻想入りの物語としては明らかにおかしい挙動です。
 夢を見たくて夢の世界に入り込んだのなら、出てこようとする道理はありません。東方好きが幻想入りしているなら、なおさらね。しかしマリン船長はもともと幻想郷に行きたいとすら思っておらず、来てしまってからは元の世界に帰りたがっている。これはマリン船長本人が、ひいてはこれを聴く我々が、もはや幻想郷に幻想を抱く年齢や立場ではないことを示しているように思えます。
 東方の全盛期に学生時代を過ごした者たちにとって幻想郷とは、もはやそれを総括する淡い思い出に過ぎず、いまさら思い返して漬かりに行く場所ではないのです。これは作中の魔理沙のセリフに端的に示されていて、「待っててくれる奴がいるんなら、ここにはいちゃいけないよ。幻想郷にはさ。」とはっきり明言されています。

 幻想郷で作った思い出は、幻想郷に置いてこなくてはいけない。

 つまるところこのボイスドラマは、幻想郷は過去を象徴する場所であり、しかし我々が進むべき方向は未来の方向であるため、もはやそこに居場所はない、ということがテーマになっているのです。

 幻想郷は、誰かの思い出として静かに存在している。
 かつては助けてえーりんと右腕を振っていた存在は、いまや助けて船長と右腕を振られる存在となっている。
 彼女は既に、幻想郷に戻る権利を持っていないのだ。

…ねぇ ホントはずっと居たいのよ 恋焦がれ幻想郷
 たまに遊びに行くくらいなら、許されるだろうか。



ま、それにつけてもなんですけど、本当に!もっと早く出会いたかったな!
この作品にも、宝鐘マリンにもだ。
寡聞にしてここまではご一緒できませんでしたが、しかし私はこれからをご一緒できます。ヨーソロー!

記事中の二重鍵括弧と下線で表示されている部分は、以下の曲における歌詞の引用です。
出典:『イヤホンロマンス』作詞:ビートまりお、まろん(IOSYS)/作曲:ZUN

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