「
*ハロー、プラネット。」といえば、言わずと知れた2009年5月24日にsasakure.UK氏によって投稿されたミクオリジナルのボカロ曲である。人類が滅びた後も生き残っていた初音ミクが、メモリに残るかつてのマスターを探しに地球上を巡る旅をするが、最終的にマスターは既に死んでいたことを発見して打ちひしがれてしまい、遂には自分も倒れてしまうという内容で、本当に聴くも涙聴くも涙の名曲です。
本当はいくつかの連作楽曲の最終章らしいのだが、この曲単体で完成度が非常に高くsasakure.UK氏の代表作となっており、歌詞は濃密なアンドロイド萌えだが曲調やPVがポップだからか音ゲーに移植されまくっているため(どういうわけかサウンドボルテックスにさえ入っている)、なんとなく聴いたことはあるという人も多いのではないだろうか。
私もProjectDIVAからこの曲を知ったタイプです。初めて聴いたときも泣いた。ゲーセンでも泣く。スコアタしてたこともあり(全国688位)ヘビロテしていたが、毎回泣いていた。まあ毎回は嘘だとしても2回に1回は泣いていた。(マゾ?)
何を今更、という話なのですが、この「*ハロー、プラネット。」を目いっぱいに解釈してみました。
どうして初音ミクを死なせたくなるのか
「初音ミク」と「世界の終わり(あるいはポストアポカリプス)」とをくっつけた世界観を持つ曲は多く、この曲がすごく特別というわけではありません。実際に、楽しげな雰囲気から唐突に今生の別れが訪れる展開は「ボカロあるある」と揶揄されるほどに、初期のボーカロイドオリジナル曲界ではありふれたものでした。
ではなぜこれがありふれたものだったのでしょうか。
初音ミクをリアルに想像しようとすると、「歌を歌うために作られたロボットの女の子」という解釈が第一に来るはずです。Kei氏によるあの最も有名な立ち絵には既にあまり人間味がなく、シンセサイザーの擬人化っぽさというか、ロボットっぽさ、アンドロイドっぽさを感じさせる絵柄です。初音ミクがそもそも持っていた要素は「歌を歌うということが第一目的である」というのと「ロボットの女の子」というのの2点です。前者を膨らませると世界観はアイドルだったり歌姫だったり、学園祭で歌う高校生、あるいはガレージバンドのボーカリストとかになっていくわけですが、後者を主に想像しようとすると、取っ掛かりの種類は前者ほどはあるわけではないです。
初音ミクをロボットとして捉えたとき、あまり性能がいいとは言えません。ツインテールがでっかくてかわいいはかわいいけど戦闘力があるわけでもなく、得意なことといえばただ歌を歌うだけ。これだけではお話を作るのは結構難しい。そこからお話を作ろうと考えると、この単なるかわいいおうたロボットを特殊な環境に投げ込む必要があります。そして投げ込まれる先として選ばれる確率が高かったのがポストアポカリプスの世界というわけですね。
人間の科学の粋を目いっぱいに注がれて作られたけど、科学の粋すぎて人間よりはるかに長生きしてしまい、壊れるより先に人間の方が滅んでしまったというのはアンドロイドのお話ではよくあることです。
ところで、アンドロイドが持つ特徴といえばなんでしょうか。人間ではあり得ないスーパーパワーでしょうか。それとも人間を超えた超計算力?初音ミクは残念ながらそのどれも持ち合わせていません。初音ミクが持っているアンドロイドっぽさといえば、理論上
不老不死であるということです。(逆に言うとミクってそこ以外はかなり人間寄りな存在なんですね。)不老不死であることは、すなわち
死から解放されている存在なわけですね。
人間は空を飛べないので、空を飛ぶ人間がいたらお話になります。同様に異世界転生も普通の人はできないので、できた人がもしいたら、というのがお話になります。ならば、死なない存在を主役にお話を作ろうとすると、
どうしてもその子には死んでもらわないといけないわけです。普通は死なないので、死ぬ場面が一番お話になるんですね。これは持論なんですが、アンドロイド娘が主役であるなら、
起承転結の結は「その子の死」と決まっています(暴論にもほどがあるな)。悲劇であっても希望を感じさせるエンディングはあってもよいのだが、それは実は主役が人間である場合に限っていて、アンドロイドと悲劇を掛け合わせようすると、その計算結果は必ずアンドロイドは壊れて終わることを示します。
というのは、アンドロイドは被制作物なので、人間のように自力で環境や考え方を変えたりできないんですね。それをやってしまうとアンドロイドが主役である必要性がなくなります。
初音ミクをロボット、あるいはアンドロイドとして捉えお話を作ろうとしたとき、かならず彼女を死なせなくてはいけなくなる。
*ハロー、プラネット。は、そんな「初音ミクを死なせてみる試み」を最初期に実践したパイオニアの楽曲であると言えるでしょう。
目いっぱいに詰め込まれた無垢さ
序文にも書いた通り、私はこの曲を聴くと100%泣くというか涙をどうにも抑えきれない性分なので、ヘビロテなんかした日にはその日一日目薬が要らない程度でこの曲は好きだけど苦手なんですが、頑張って聴きました。
この曲では、大前提としてミクはアンドロイドです。
つまり初音ミクはアンドロイドなので死なないが、結末では死ぬことが決まっている。逆に言えば、結末までは
どんなことがあっても死なない。
となれば、
それはもう目いっぱいに不憫な目に遭って死んでもらった方がいい(正体あらわしたね)。そしてそういう目に遭うのは、純粋で無垢な存在であればあるほどよい(邪悪?)
*ハロー、プラネット。には"無垢さ"が随所にちりばめられています。
『
シェルターのおと ひとりめがさめた』
モーニングルーティーンから曲は始まります。ボディメンテナンスのチェックを行い、その後はメールチェック、そして植木鉢のチェック。
夜に寝て朝に起きる生活はあくまでも人間のバイオリズムであり、アンドロイドであるミクには必要ないように思えますが、かつてはマスターのそばでそうして生活していたのだろうと想像させますよね。
あ、ちなみにですがもう泣きそうです(速)。
『
やさしい あおぞら おっこちて しずか しずかな ほしになる』
舞台は既にすべての生き物が絶滅し、しずかなほしになった後で、存在しているのはミクただひとり。つまり彼女は我々が作り出した1体目のアンドロイドだったということ。もし同じようなアンドロイドが存在したのなら、ひとりふたりは生き残っていても不思議ではないはずだ。まあ少なくとも家庭用アンドロイドはそうたくさんはいなかったのでしょう。
『
"まるばつ さかだち おつきさま"』
この曲は解釈がかなり自由でいろいろな場面が想像でき、PVも複数あるのだがその中でもProject DIVA版がとても秀逸です。DIVAのPVでは、この歌詞のところで○と×を組み合わせたような形の宇宙ステーションらしき巨大な設備がお月さまにレーザーを照射する場面が描かれています。"さかだち"というのは反逆とか誤作動とかを意味するのでしょうか。原曲版では核戦争によって世界が崩壊したという設定だそうですが、DIVA版では宇宙ステーションの誤作動ということになっているようです。誰かの悪意ではなく、自然現象、あるいは想定外の誤作動によってこの荒廃が生み出されたとしたほうが不条理です。
『
たのしいはなし もっとしたいの したいの』
ここがかなりの涙ポイントです(涙ポイント?)。おそらくミクは話の内容まではよく理解できておらず、単にマスターが楽しそうに話しかけてくるから楽しい話をしているんだと解釈していたのではないかと思うのです。犬とか猫は飼い主が悲しんでいるとおもちゃを持ってくることがあるそうですが、これは彼らは「これで遊んでいた時は飼い主は楽しそうにしていた」と考え、悲しんでいる状態から楽しんでいる状態に導くための行動だそうです。我々はその純粋さ、無垢さに感動するわけです。ミクは曲中でメモリの中にある記憶と思われることがらを追想していくんですが、アイコンとして思い出しており話をきちんと理解していたとはあまり思えません。「本の話をしている」とか「花の話をしている」とか、漠然と認識していたのではないだろうか。それら全部をひっくるめて「たのしいはなし」として思い返しているように思えて言わんかたがない。
『
たいせつなモノ たくさんあるけれど いまはこれだけ もっていればいい』
ミクは思い出を時系列順に思い返す。薬瓶(薬学)、ベル(宗教学)、歯車(機械)、鎌(農業)など持っていた知識は意外にも幅広い。しかしどれもこれも、世界にたったひとりとなってしまったミクにとってはもはや持っていても意味のない知識です。
『
キミがさいごに おしえてくれたモノ うえきばちのめ きょうもでてこないや』
ミクは最後に教えてもらったもの、すなわち自分とマスターを繋ぐ最も新しい記憶。それが"教えた"なのか"水をあげていればそのうち芽が出るよ"と呟いただけなのかはわからないが、ミクにとっては"教えてもらった"こと。たいせつなものから唯一選び取ったもの、それがそれ唯一、次世代へ生命を繋げるものである"植木鉢"だったのは、これはもはや運命だったのでしょう。
『
"ガレキの あめだま ふってきた"』
ところでこのミクはそもそも何のために作られた存在だったのでしょうか。
歌を歌うためですね。では、歌を歌うために必要なものとはなんでしょうか。正確な音程、正確な発音も大事ですが、歌そのものに込められた情景を伝えるために詩情も欠かせないものです。ミクは冒険の中で訓練を重ね、自らの身体を錆びさせる酸性雨(あるいはおつきさまの残骸か)を"ガレキのあめだま"と表現できるようになっていて、さらにはそこからボディよりも大切なものを認知し『
ココロ サビついて しまわぬように』とメタファーを使いこなせるにまでミクは成長しています。ああ、この終末の世界に生れ落ちてさえいなければ、歌を入力されたままに歌うのではなく、自らで解釈して歌うことができるアンドロイドとして活躍できたことでしょう。彼女はもうそれが必要のない世界の中で、才能をめまぐるしく開花させていきます。
『
ヒナタボッコのてんしに オハヨーハヨー』
ここからは生まれ持った才能(本来想定されていたであろう性能)を完全に開花させたミクが地球をめぐっている場面を歌いあげていきます。単にそのものの様子を説明するのではなく、『
ヒナタボッコのてんし』『
ミズタマダンスのそら』『
マーマレードのだいち』と別の言葉に仮託するというわりと高度な表現法を使いこなしていて、無からこれを生み出しているのだから相当なテクノロジーを注がれて生まれてきた存在とわかります。ミクは「成長」ができるアンドロイドだったのです。マスターがいろいろ話しかけていたのは成長を促すためでもあったのだろうか。
そして『
メモリのなかのキミは オハヨーハヨー』と続きます。ミクはこのあたりで
自分が探し求めているものはもうこの世にはないかもしれないということに薄々感づいているようです。メモリのなかに残るデータを参照して思いを寄せ、荒れ果てた現実に立ち向かうというのはかなり人間的な所作ですね。もう会えないかもしれない、でも会えないと決まったわけじゃないから探しに行く。この先は、ミクは自らを守るものをかなぐり捨てて、ガレキのあめだまの中をその身と、自分とマスターを繋ぐ最後の希望である植木鉢だけ持って、メロディを口ずさみながら進んでいきます。自分が自分であるということだけを頼りに歩いていくわけです。最後の最後まで、誰かの返事を求め「Hello」と語り掛けながら。
『
しずかに ねむる きみをみた』
そしてここで確定してしまいます。ミクは、原曲では墓標を、DIVA版では壊れた個人用カプセルを見つけ出します。追い求めていたものはもうこの世にはなかったのです。しかしこれによりミクは大きく成長し、『
どうして かなしいよ こんなに』と
一次感情の発露がここで起こるわけです。これまでの比喩とは違い、ミク本人から沸き起こった感情です。そして感情を持った瞬間、
ミクは人間になることができました。アンドロイドが人間になるとどうなるか?死ぬことができるようになるということです。
『
チキュウぼっこのラブに オハヨーハヨー』
ひなたぼっこがサンライトを浴びることだとすると、チキュウぼっこはアースライトを浴びることです。ミクは地球を離れていきます。
『
あさとひるとよるに オハヨーハヨー』『
ウチュウギンガのリズムに オハヨーハヨー』『
アダムとイブのあいだに オハヨーハヨー』
時間も超え宇宙も超え、ジェネシスさえも超えていき、ミクが、植木鉢の芽に連れられて最後に向かった先は天国でした。
『
あいたかったの キミに オハヨーハヨー』
それは単なる言葉遊びではなく、昔のような挨拶として。
ミクがいつまでもうたうロボットでいられるよう、平和な世の中が続くとよいですね。
みんなは何回泣いた?私はわずか両手両足で数えるほどだけど。