「みこめっとの!」
「「地下迷宮脱出チャレンジー!」」
二人の声がぴったり揃って、配信がスタートした。
企画はシンプルだ。石造りの地下迷宮に潜り、最深部にある鍵を手に入れて出口の扉を開ければクリア。制限時間は一時間。二人の頭にはカメラ付きのヘッドライトが装着されており、リスナーにはそれぞれの視点が同時配信されている。それとは別に、ドローン型のカメラもふたりの様子を撮影している。
「うわ、中けっこう暗いね」
すいせいが迷宮の入口を覗き込む。石壁の通路がまっすぐに伸びていて、ところどころに松明が揺れている。ゲームの世界に迷い込んだような雰囲気だ。
「大丈夫大丈夫!みこ、こういうの得意だから!」
みこは胸をどんと叩いて先頭を歩き始めた。
「みこ、罠なんかかからないんですけーど!」
「本当に大丈夫〜?」
「みこちゃんを舐めないでいただきたい」
すいせいはくすりと笑いながら、半歩後ろをついていく。
最初の分かれ道。みこは顎に手を当て「うーん」と悩んだあと、「こっち!」と右を選んだ。正解だった。次の分かれ道も、その次も。壁に描かれたマークや通路の微妙な傾斜からヒントを読み取っているらしい。
「みこちすごいじゃん。なんで分かるの?」
「んー、なんとなく? こっちのほうが風が通ってる感じがするっていうか」
「勘じゃん」
「エリートの勘は当たるの!」
序盤にいくつか仕掛けられていた罠——床から柔らかい障害物が飛び出してきたり、天井からスチロール製の岩が降ってくるもの——も、みこは軽やかに避けていく。
「ほらね? 余裕!」
「はいはい、さすがエリートさま」
配信のコメント欄は「み俺誇」「すいちゃんは保護者かなにか?」「みこめっとやはり安定感あるな」と和やかなムードで流れていた。
迷宮に入ってから二十分ほど経っただろうか。松明の間隔が広くなり、通路が少しずつ狭くなってきた。壁の石組みも荒くなっている。深部に近づいている証拠だ。
「ねえすいちゃん、昨日のマイクラでさ——」
みこが振り返りながら話しかけた、その瞬間だった。
ガコン、と鈍い音がした。
みこの右足が踏んだ石が、数センチ沈む。
「——え?」
床が、崩れた。
みこの足元から石がバラバラと崩落していく。巨大な落とし穴が口を開けるように、通路の床が一気に消失した。
「みこち、危ないっ!」
すいせいが叫んだ。考えるより先に体が動いていた。両手でみこの背中を力いっぱい押す。みこの体が前方の安全な床へと投げ出される。
そしてすいせいは——押し出した反動で、崩れる足場と共に闇の中へ落ちた。
「すいちゃん!!」
みこは地面に突っ伏した体勢から顔を上げ、崩れた穴の縁に這い寄った。暗い。ヘッドライトの光を向けても底がよく見えない。
「すいちゃん!!すいちゃん大丈夫!?」
数秒の沈黙。みこの心臓が、どくどくと喉元まで跳ね上がる。
「——うん……大丈夫ー……」
下から声が返ってきた。くぐもっているけれど、確かにすいせいの声だ。みこは一瞬だけ安堵の息を漏らしたが、すぐにまた身を乗り出した。
「みこも……みこも今そっちにいく!」
「危ないからやめて……通路続いてるみたいだから、階段を探して降りてきて欲しいかな……」
「すいちゃん、怪我してるの……?」
「うん……足をちょっと……」
その言葉を聞いた瞬間、みこの胸の奥でなにかがぎゅっと締め付けられた。
「わかった! みこ、すぐ行くから待ってて!」
みこは立ち上がると、暗い通路を駆け出した。
走りながら、みこは考えていた。
——みこのせいだ。
罠に気をつけろって、あんなに言われてたのに。調子に乗って、おしゃべりしながら歩いて、足元を見てなかった。
すいちゃんが怪我をした。みこを庇って。
——ほんとに、みこってポンコツだ。
すいせいは、みこにとって一番大切な人だ。
仕事のこと、将来のこと、悩みや不安。全部、二人で分け合ってきた。嬉しいことがあったら一番に報告するのはすいせいだったし、辛いときに黙ってそばにいてくれるのもすいせいだった。みこめっとは、とっくに「ビジネス」なんかじゃない。どんな言葉を当てはめても足りないくらい、かけがえのない存在。
なのに——自分のミスで、大切な人を傷つけてしまった。
足を怪我したといっていた。どれくらいの怪我なのか、みこにはわからない。でも足を怪我したということは、もうひとりじゃ動けないのかもしれない。
この先、ライブがあったら、収録があったら——自分の不注意で、すいちゃんの未来が止まってしまうかもしれない。
考えれば考えるほど、視界がぼやけてきた。ぽろぽろと涙が溢れて、頬を伝って顎から落ちる。
——ダメだ、泣いてる場合じゃない。
でも涙は止まらなかった。走りながら乱暴に袖で目元を拭う。
——きっと、まだ大丈夫。すぐに行って、手当てすれば。すいちゃんは大丈夫。だからみこ、早く。もっと早く。
みこは涙を振り切るように、さらに足を速めた。
迷宮の通路は幾重にも枝分かれしていた。でも不思議と、みこの足は迷わなかった。理屈じゃない。風の流れとか石の色とか、そういう微細な情報を本能が拾い上げて、正解の道を選び続けている。エリートの勘——なんて軽い言葉じゃなくて、今はただ、すいせいのもとへ向かいたいという一心が、みこの足を正しい方向へ運んでいた。
いくつかの分岐を抜けた先に、小部屋があった。奥に長い部屋だ。ヘッドライトの光で照らすと、平均台のように細い足場が何本か、ジグザグに連なっているのが見えた。幅はせいぜい三十センチほど。足場のない部分は——奈落だ。暗くて底が見えない。渡り切った先に、下へ続く階段がある。
配信の企画で用意されたものだから、落ちたって大怪我はしないだろう。頭ではそう分かっている。でも底の見えない暗闇というのは、理屈を超えて本能に訴えかけてくる。足が、すくむ。
みこは最初の足場に足を乗せた。
一歩、二歩。腕を左右に広げてバランスを取る。慎重に、でもなるべく速く。三歩、四歩——足場がカーブする。最初の足場から次の足場へ飛び移る。着地は安定していた。大丈夫、いける。
二本目の足場を渡り、三本目に差し掛かったところで——みこの足が止まった。
この足場だけ、わずかに揺れている。
下を見てしまった。真っ暗な穴がぽっかりと口を開けている。吸い込まれそうだ。急に膝が笑い始めて、一歩も動けなくなった。
「……っ」
怖い。怖い怖い怖い。落ちたらどうしよう。どうなるんだろう。さっきのすいせいみたいに——いや、すいちゃんは。すいちゃんが待ってる。
みこは、ぎゅっと拳を握った。
「……でも、すいちゃんを早く助けなきゃ」
声に出す。自分に言い聞かせるように。
「みこはえりーとだから大丈夫……」
一歩。
「ぜったいできる……!」
もう一歩。足場の揺れに合わせて体の重心を調整する。泣きそうな顔のまま、それでもみこは前を向いた。
一歩、一歩、一歩——。
最後の足場の端を蹴って、みこは階段のある床に飛び降りた。
「はぁぁ……!」
着地した瞬間喉から声が漏れて、膝から力が抜けてへたり込みそうになったけれど、壁に手をついて堪えた。
振り返ると、自分が渡ってきた足場がずっと向こうまで続いている。よくあんなところを渡ったなと思う。でも、感慨に浸っている暇はない。
みこは階段を駆け下りた。
下の階層は、さっきまでの迷路とは少し雰囲気が違った。通路が広く、松明も多い。みこはすいせいが落ちた方角を頭の中で計算しながら、通路を進んでいく。
そして、すいせいがいるであろう位置に向かう最後の角を曲がった。
「すいちゃ——」
みこは、固まった。
すいせいがいた。立っていた。壁にもたれかかるでもなく、足を引きずるでもなく。何事もなかったかのように、まっすぐ立っていた。
そしてその隣に——大空スバルと白上フブキがいた。
「…………え?」
みこの頭が状況を処理しきれずにフリーズする。すいせいは怪我をしていたはずだ。足をちょっと、と言っていた。なのに元気そうに立っている。しかもなんでスバルとフブキがここにいるんだ。
スバルが満面の笑みで両手を広げた。
「」
「すいちゃんは実は怪我してなくて全然元気だよ!」
フブキがぴょんぴょん跳ねながら種明かしをする。足場の崩落も計画通り。すいせいの怪我も演技。全部、仕組まれたドッキリだったのだ。
みこは——しばらく、ぽかんとしていた。
スバルの声も、フブキの声も、なんだかすごく遠くに聞こえる。頭の中で、いろんなものがぐるぐる回っている。自分が走り回ったこと。泣いたこと。あの怖い足場を渡ったこと。すいちゃんが怪我をしたと思って、どうしようって、なんて謝ろうって——。
ぜんぶ。
みこの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「みこ……ほんとに心配してたのに……」
声が震えている。
「ひどいよぅ、すいちゃん……」
その涙を見た瞬間、すいせいの表情から軽い笑みが消えた。スバルとフブキもそれを茶化さなかった。すいせいは迷わずみこのもとへ歩み寄り、その小さな体をそっと抱きしめた。
「ごめんね、みこち。ちょっといじわるだったね」
「みこ……みこ、すいちゃんが怪我しちゃって、どうしようって思って……」
すいせいの胸に顔を埋めたまま、みこはしゃくり上げる。
「なんて謝ろうって……みこのせいで怪我させちゃったって……ずっと、ずっと考えてて……」
「みこち、ごめんね」
すいせいはみこの頭をゆっくり撫でた。
「すいちゃん元気だから。大丈夫だよ」
みこがすいせいの服の裾をぎゅっと掴む。放したら何もかもが嘘になってしまうとでもいうように。すいせいはその手を振りほどかず、ただ静かにみこの背中をさすっていた。
そこだけが、二人きりの世界だった。
スバルとフブキは顔を見合わせた。スバルが小声で「……先行くか」と言い、フブキが頷く。二人はそっと足音を殺して、出口への通路を歩いていった。
しばらくして、みこの嗚咽が収まった。
「……もう大丈夫?」
「……うん」
みこが顔を上げる。目は真っ赤だったけれど、泣き止んではいた。
「行こっか。鍵、まだ取ってないし」
「あ、鍵ならもうあるよ」
すいせいがポケットから小さな鍵を取り出した。ドッキリの仕掛け側だったのだから当然といえば当然だ。
「……ずる」
「あはは。じゃあ、ゴールしよ」
すいせいが手を差し出す。みこは少しだけ唇を尖らせてから、その手を握った。
「……もう離さないからね」
「うん。離さないよ」
二人は手を繋いだまま、出口への通路を歩いた。
重い扉の前に着く。すいせいが鍵を差し込み、みこと一緒に扉を押し開けると、眩しい光が溢れた。
「」
「クリアおめでとう!」
扉の向こうには、ホロライブのメンバーたちが待っていた。クラッカーが鳴り、拍手が響く。スバルとフブキも、先に抜けてきたメンバーに混じって手を振っている。
みこは——ぷんすかと頬を膨らませていた。
「みこ、許せないんですけーど!」
さっきまでの涙はすっかり乾いて、今はドッキリされたことへの怒りモードに切り替わっている。
「みこ、ほんとのほんとに心配で一生懸命頑張ったのにドッキリってなんだよ!」
「」
スバルが両手を合わせて笑う。
「そうだよ! それに感動したよー!」
フブキが大きく頷く。
「」
「泣きながら走ってるのも見てたよ、愛だよねぇみこち」
メンバーたちが口々にみこを称える。みこは「だからってドッキリはひどくない!?」とまだぷんぷんしていたが、その目尻はほんの少しだけ緩んでいた。
「みこち!」
すいせいの声がした。一際はっきりと、まっすぐに。
みこが振り返る。
「助けに来てくれて、ありがと」
すいせいはにっこりと笑った。みこがこれまでに何百回と見てきたはずの、すいせいの笑顔。でも今日のそれは、いつもよりずっと柔らかくて、温かかった。
「カッコよかったよ?」
そう言うと、すいせいはみこの頬にそっと唇を寄せた。
ふわり、と。羽が触れたみたいに軽く。でも確かに。
一瞬の静寂。
そして——爆発した。
「「「きゃあああああ!!!」」」
メンバーの絶叫。配信のコメント欄が光の速さで流れていく。「てぇてぇの過剰供給」「尊すぎる」「みこめっとは実質結婚」「もう無理泣いた」——スパチャの嵐、コメントの洪水、そしてサーバーへの負荷。
「え、あ——すいちゃん!?」
みこが耳まで真っ赤にして固まっている。すいせいはそんなみこを見て、いたずらっぽく笑った。
その直後。
『配信が終了しました』
サーバーダウン。
みこめっとが生み出した感情の奔流は、あまりにも大きすぎたらしい。
画面が暗転した後も、ふたりの笑い声だけがしばらく迷宮に響いていた。
公開:2026/2/16