「ねえおかゆ、これっておかゆにもある?」
ろうそくの灯りを頼りに薄暗い廊下を進むさなか、ころねが不意に足を止めた。
「なになに?」
「手首にさ、なんか数字と模様みたいなのが書いてあるんだけど……」
ころねが燭台をかざして自分の左手首を見せる。白い肌の上に、淡く光るような文字と記号が浮かんでいた。
おかゆも自分の手首を確かめてみると、ころねの言うとおり――数字の「9」と、小さなひし形の模様が3つ、まるで最初からそこにあったかのように刻まれていた。指でこすってみても、消える気配はまるでない。肌の上に浮かんでいるというより、肌そのものに染みこんでいるようだった。
「これなんだろ? こぉねタトゥーなんか入れたことないのにぃ」
「ゲームだったら、残機とか体力ゲージ……とかなのかなぁ」
「あー、残機かぁ!」
確かにゲームであれば、復活できる回数が決まっていても不思議ではない。ころねは妙に納得した様子でうなずいたが、おかゆの表情は晴れなかった。
「ってことは……死ぬ可能性があるってこと?」
「ゲームオーバーもあるってことだよね……?」
ふたりの間を、重い静寂が通り過ぎた。廊下の奥から吹いてくる冷たい風に、ろうそくの炎がちりちりと音を立てて揺れる。
「だ、大丈夫! 『九死に一生』って言うぐらいだし、9個も残機があれば絶対クリアできるから!」
ころねが拳を握って力強く言い切る。おかゆは思わず小さく笑った。
「できれば1回も死にたくないなぁ……」
廊下は、長かった。
ろうそくの灯りが届く範囲はせいぜい数メートル。その先は闇に沈んでいて、どこまで続いているのか見当もつかない。ただ、廊下の左右にいくつものドアが並んでいるのが、かろうじて確認できた。どのドアも同じような木製の重い扉で、それぞれ微妙に異なる装飾が施されている。
「先に出口探す? それとも片っ端から探索した方がいいかなぁ」
「何かアイテムが拾えるかもしれないし、少しずつほかの部屋も見てみようか」
おかゆはそう言って、最も手前にあった部屋のドアノブに手をかけた。
ゆっくりと、ドアを開ける。
その刹那――。
暗がりの向こうから、何かが風を切る鋭い音がした。
おかゆが反応するよりも早く、矢のようなものが闇の中から射出され、まっすぐにおかゆの胸元へと吸い込まれた。
「うぐぅっ……!」
「おかゆ!!」
衝撃に押されるように、おかゆは二、三歩よろめいて後ずさった。ころねが燭台を片手に慌てて駆け寄り、おかゆの肩を支える。
「おかゆ大丈夫!? ねえ、おかゆ!」
「大丈夫だよ……なんか、"刺さった"って感覚はあったけど、痛みはないし……傷にもなってないみたいだ……」
おかゆは自分の胸元を見下ろし、手で確かめた。刺さったはずの矢も、刺さってできるはずの傷も――その両方が、どこにもなかった。確かに身体を貫く衝撃があったのに、服にも肌にも、何の痕跡も残っていない。まるでゲームの中で「ダメージ判定」だけが処理されたかのようだった。
「でも、"ダメージを受けた"っていうのは事実みたい……これ、見て」
おかゆが左手首を差し出す。ころねが燭台の灯りをかざして覗き込むと、さっきまで3つ並んでいたひし形の模様が――2つに減っていた。
「……これ、やっぱり体力ゲージだったんだ」
ころねの声から、先ほどまでの明るさがわずかに消えていた。模様がひとつ消えた、という視覚的な事実が、この場所のルールを否応なく突きつけてくる。ダメージは蓄積する。体力がゼロになったらどうなるのか――それはまだ、わからない。
「僕も不用心だったと思う……こういうトラップにも気を付けないとね」
おかゆは努めて冷静に言ったが、その声にはかすかな震えが混じっていた。
ふたりは顔を見合わせた。ろうそくの炎に照らされたお互いの顔に、はっきりと緊張の色が浮かんでいる。
この洋館は、ふたりを歓迎してはいない。