「このまま部屋を回っても、意味ないかもね」
ふたりは個々の部屋の探索をやめ、まず洋館全体の構造を把握することにした。
どの部屋に何があるかよりも先に、この建物がどれくらいの大きさで、どこに何が繋がっているのかを知ること。マッピング――ゲーマーなら馴染み深い、探索の基本だ。
廊下をまっすぐ進んだ突き当たりに、下りの階段があった。板張りの段が暗がりの奥へと続いている。冷たい空気が下から吹き上がってきて、ろうそくの炎が大きく揺れた。
ふたりは顔を見合わせてから、慎重に一段ずつ階段を降りていった。
階下に広がっていたのは、二階の狭い小部屋とは比べものにならない、大きなホールだった。
「広い部屋だなぁー……」
ホールは広かったが、調度品のようなものはほとんど何もなかった。ころねの声が壁や天井に跳ね返り、幾重にも反響して消えていく。その残響がまるで、暗闇の中の誰かがころねの声を真似ているようで、背筋がうすら寒くなる。
ろうそくの灯りでは到底全体を照らしきれない。ただ、見上げた天井の中央に巨大なシャンデリアが吊り下がっているのが、外からの月明りでかろうじてその輪郭だけ見て取れた。かつては無数のクリスタルが光を受けて輝いていたのだろうが、今は暗がりの中でただ黒い塊として沈黙している。
「あ!」
おかゆが不意に声を上げた。
「見てころさん、何かあるよ!」
ホールの中央あたり――ちょうどシャンデリアの真下に置かれた小さな机の上で、微かだが確かに何かが光を放っていた。周囲の暗闇の中では、それはまるで深海で発光する生き物のように目を引いた。
「ほんとだ! なんだろ、鍵かなぁ!」
ころねも同調して駆け寄る。
空っぽの部屋ばかりを探し続けて、ようやく見つけた手がかりだ。ふたりの足が自然と速まる。閑散とした洋館で初めて目にした意味ありげなものに、警戒よりも期待が勝った。
ふたりが確認すると、それは確かに鍵だった。銀色で、飾りのついた立派な鍵だ。いかにも"クリアのためのアイテム"という雰囲気がある。
「鍵だよ!僕たち、外に出られるかも!」
「やったねぇ!おかゆ!」
ふたりが机の上の鍵に手を伸ばした、その瞬間。
――ガシャンッ。
頭上で、何かが砕けるような金属音が響いた。
見上げる暇もなかった。
巨大なシャンデリアが、まるで獲物を待ち構えていたかのように、真上からふたりの上へ落ちてきた。クリスタルの破片が暗闇の中で一瞬だけ鋭く煌めいて――。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
――目を覚ますと、そこは最初の部屋だった。
見覚えのある長机。見覚えのある椅子。見覚えのある、高い天井と暗い壁。
「あれ……こぉねたち……」
ころねが、ぼんやりとした声で言った。椅子に座ったまま、きょろきょろとあたりを見回している。
「鍵を取ろうとして、シャンデリアが落ちてきて……」
「戻ってきたの……?」
おかゆは自分の手首に目を落とした。淡く光る数字が8に変わっている。さっきまで9だったそれが、ひとつ減っていた。
そうか。僕たち、さっきので――"1機"、失ったんだ。
直感的にすべてを理解した瞬間、おかゆの視界がじわりと滲んだ。
罠があるかもしれないことは、わかっていたはずだ。ころねの推理で、ここがゲームのような場所であることも、手首の模様が体力を示していることも。なのに、暗闇の中で光るものを見つけた瞬間、周囲の確認も忘れてシャンデリアの真下に飛び込んだのは自分だ。
そして――そこにころさんを呼んだのも、自分だ。
ころねは自分の判断で走ったのではない。おかゆが呼んだから来たのだ。おかゆの不注意に巻き込まれて、ころねも一緒に1機を失った。
「ごめんね、ころさん……僕のせいで、ころさんも……」
声が震えた。涙がぽたりと手首に落ちて、8の文字の上を伝った。
「おかゆ?」
ころねは黙っておかゆのそばに寄ると、そっと、でもしっかりと、おかゆを抱きしめた。
「ろうそくはこぉねが持ってたんだし、一緒にいるのが当たり前だよ」
「でも……」
「こぉねね、死ぬならおかゆと一緒がいいって、いっつも思ってるよ」
おかゆの肩が小さく震えた。ころねは構わず、穏やかに続ける。
「こぉねはおかゆと一緒がいいの。どこにいくのも、全部。だからおかゆ、泣かないで?」
その声はいつもよりずっと柔らかくて、温かくて。暗い洋館の冷たい空気の中で、ころねの体温と声だけが確かなものとして、溶けるようにおかゆの心に沁みていった。
おかゆは少しだけ目をこすって、小さく笑った。
「えへへ……死ぬよりも、一緒に脱出できればいいよね、ころさん?」
「うん!」
ころねが満面の笑みで答える。その笑顔は、どんなにろうそくの灯りが心もとなくても、変わらない明るさをくれる。
ふたりは立ち上がった。手首の数字は8に減った。でも、ふたりの間にあるものは何ひとつ減っていない。
「今度はシャンデリア、気を付けないとね」
「あれは初見殺しだよ! こぉね抗議するぅ!」
笑い声が暗い部屋に響く。ふたりは再び燭台を手に取り、もう一度、最初の一歩を踏み出した。