脱出

 ふたりは再び、あのホールに戻ってきていた。
 落下したはずのシャンデリアは、何事もなかったかのように元通り天井に吊り下がっている。そしてホール中央の小さな机の上には、さっきと同じように鍵が静かに光を放っていた。まるで、もう一度おいでと誘うように。

……リセットされてる
ゲームだねぇ、ほんとに

 ころねが半ば感心したようにつぶやく。おかゆはシャンデリアを見上げ、それから鍵までの距離を目測した。走り抜ける時間と、シャンデリアが落ちてくるまでのタイムラグ。さっきの記憶を頼りに、頭の中でシミュレーションを組み立てる。

よし、今度は走り抜けよう
こぉねは?
ころさんはここで待ってて。取ったらすぐ戻るから

 ころねがうなずく。おかゆは燭台をころねに預け、ホールの入り口で一度深く息を吸った。暗闇の中、微かに光る鍵だけを見据える。
 ――走った。
 床を蹴る足音がホールに反響する。机に駆け寄り、光る鍵を掴み取る。指先に冷たい金属の感触が走った瞬間、頭上で聞き覚えのある――あの、金属が軋む音。
 おかゆは振り返らなかった。鍵を握りしめたまま、全速力でホールの端まで駆け抜ける。
 背後で、凄まじい轟音が響いた。
 シャンデリアが床に叩きつけられる衝撃が足元を震わせ、クリスタルの破片が暗闇の中で砕け散る音が幾重にも反響する。だがふたりはそれを知っていた。両手で耳をしっかりと押さえて、音の嵐が過ぎ去るのを待つ。
 やがて、静寂が戻った。
 おかゆがゆっくりと手を開く。掌の中で、銀色の鍵がろうそくの灯りを受けて鈍く光っていた。

やった!!
おかゆぅナイス!!

 ころねが飛びつくようにおかゆに駆け寄った。おかゆは鍵を高く掲げてみせる。小さな銀色の輝き。それはこの暗い洋館の中で、ふたりが手にした初めての"答え"だった。

これで帰れるね!
ころさんがいてくれたおかげでね
頑張ったのはおかゆだよぉ!

 緊張の糸がほどけたふたりは、いつものように――配信でリスナーたちが「おかころタイム」と呼ぶ、あの空気に自然と入っていた。

僕、本当に不安だったけど、ころさんのおかげで最後まで頑張れたよ
うんうん、おかゆ、頑張ってたよねぇ。こぉね、ちゃんと見てたよ
ころさんが最初にゲームだって気づいてくれなかったら、僕、ずっと怖いままだったと思う
おかゆがマッピングしようって言ってくれたから進めたんだよ? こぉねひとりだったら、ぜったい罠でやられてたぁ!

 ろうそくの明かりだけが照らす暗いホールの片隅で、ふたりはしばらくぴったりとくっついて、ささやきを交わしていた。さっきまであれほど不気味だった暗闇が、今はふたりだけの空間を作る壁のように、どこか心地よくさえ感じられる。
 やがて、おかゆが立ち上がった。

じゃあ、開けるよ

 銀色の鍵を、ホールの奥にあった大きな扉の鍵穴に差し込む。回す。がちゃり、と乾いた音がして――重い扉が、ゆっくりと開いた。
 その向こうから、眩い光が溢れ出した。
 ろうそくの灯りしか知らなかった目には、それはあまりにも強烈だった。ふたりは思わず目を細め、お互いの手をぎゅっと握ったまま、光の中へ足を踏み出した。


 気がつくと、ふたりは元いた会議室の椅子に座っていた。
 蛍光灯の白い光。見慣れた長机。窓の外には、東京の夜景がいつも通りに広がっている。机の上にはふたりの荷物が、朝置いた時と同じように置かれている。手首を見ると、数字も模様も跡形もなく消えていた。

……戻ってきた?
戻ってこれたねぇ!

 ふたりは顔を見合わせて、それからどちらともなく、ふっと笑った。
 のちに聞いた話では、ふたりが迷い込んだ洋館は、次の配信企画で使用する脱出ホラーゲームのプロトタイプだったという。VR技術を応用した体験型のコンテンツで、まだ開発の初期段階にあり、最低限の仕掛けしか実装されていなかった。本来は誰かが入り込んでしまうはずはなかったのだが、たまたまデバッグルームのロックがかけ忘れられてしまったがためにふたりが閉じ込められてしまったのだと、開発チームは平謝りだったらしい。

でもさ、おかげでいろいろ分かったこともあるよね
うん。トラップの配置とか、マップの構造とか、改善点いっぱい見つけたもんねぇ

 ふたりはゲーマーズとして、このゲームの開発に協力することを申し出た。身をもって体験したからこそ分かる恐怖の演出、緊張感のバランス、謎解きの配置。実際にプレイヤーとして洋館を歩き回ったふたりの知見は、開発チームにとって何よりも貴重なフィードバックとなった。
 こうして完成した脱出ホラーゲームには、大々的にこう銘打たれた。

ホロライブゲーマーズ推薦!

 その太鼓判に惹かれて挑戦したホロメンたちが、次々と洋館の罠に悲鳴を上げ、謎に頭を抱え、シャンデリアの下で盛大にやられることになるのだが――。
 それは、また別の話。

もどる