週刊・初音ミクを作ろう

仕事からの帰りがけにふと駅併設の本屋に立ち寄ったのは、まあ俺の気まぐれである。
別に欲しい本があるわけでもなかったし、新しい情報が欲しいわけでもなかった。
単なる暇つぶし、言うなれば何も考えずにただ整然と並べてあるものを見て歩くウインドウショッピングがしたかったのだ。
本屋はそれでいいので好きだった。目的がなくても立ち寄っていい場所というのは意外に少ない。
例えばコンビニやスーパーに行くには、主に食料品が欲しいという目的が必要だ。
同じように家電量販店なら家電を、スポーツ用品店ではスポーツ用品を、それぞれ必要としていなければならない。
しかし本屋は自由だ。
もちろん本が欲しくて行ってもいい。だが本が欲しくなくて行ってもいいのだ。
何も買わずに出てきてもなんらおかしくないお店というのは、本屋以外ではなかなか見つけるに難しい。
高度にシステマナイズされた現代、何の計画もないままふらりと立ち寄れる場所は必要だ。
……などと考え事をしながら見て回ってもいい。とかく本屋は自由なのだ。
俺はそのように雑然と考え事をしながら店内をうろついていたが、雑誌コーナーに差し掛かった時、平積みにされた本の中のある1冊に目を奪われた。

週刊・初音ミクを作ろう創刊号!
毎号届けられるパーツを使ってあなたのおうちに初音ミクを招待しよう!
パーツの他に初音ミクを詳細に解説した記事付き!創刊号は「初音ミクの髪留め」がついて390円!


それはよくある大人向けのホビー雑誌だった。
単純なプラモデルとして売り切りにするのではなく、定期購読させることで一定の売り上げを確保することを目的とした、別段他愛があるわけでもない雑誌である。
クラシックカーやお城のパーツが付いてくるようなものなら、テレビでもよくCMをしているから知っていたが、まさかこういったキャラクターものも存在するとは知らなかった。
表紙には、黒の背景にあの見慣れた初音ミクの立ち絵が大きく印刷されていて、通りがかる者の目を惹いている。
大人向けのコアな趣味だけでは客層がおそらく偏るから、それを解消するためならなるほどこういったコラボレーションも悪くないはずだ。
よくみると平積みに置かれたそれは流石の初音ミクパワーのためか、周りの平積みと比べ格段に高さがなく、残り冊数は既に1を数えているようだった。
俺は、思うが早いか手に取らなくてはもったいないかもしれない、と思った。
初音ミクといえば、知っての通り世界で最も有名なアイドルのひとりだ。
作品の作り手が豊富に居るため、世代を超えて16歳のまま永遠に愛される唯一無二の絶対的なアイドルである。
なに、フィギュアを買うようなものじゃないか。
むしろただ単に購入しただけのものより、自分の手で組み上げたものの方が愛着が湧くに違いない。
そう自分に言い聞かせ、何を買うつもりでもなかった俺は残された最後の1冊を手に取りレジカウンターへ向かった。

 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

初音ミクの髪留めとは不思議なものだった。
ひし形を象った黒い枠の、そのセンターにピンクのラインが走っている。
たったこれだけなのに初音ミクの一部分とはっきり認識できるランドスケイプ力は大したものだ。
髪留めはアクリルか何かで出来ていて、つるつるとした手触りで、べっこう飴のように光っている。
俺は2つで1組になったそれを机の上に置き、しばらく眺めていた。
初音ミクを構成する色は少ない。
あの今や「ミク色」としか形容のしようがない不思議な青緑色、服の灰色、そして腕のカバーとソックス、髪留めに黒、そしてヘッドホンと髪留めにもう一つピンク色だ。
肌の色を除けば、初音ミクを構成しているのはたったの4色なのだ。
わずか4色で初音ミクは成り立つ。そしてそのうちの2色がこの髪留めに使われている。
そう考えると不思議な心持ちだった。
黒とピンクが並んでいるだけで50%は初音ミクなのだろうか?

翌朝、目を覚ましがしら不意にその髪留めが目に入り、初音ミクがそれを外して今まさにシャワーでも浴びているのではないかというような錯覚を覚えた。

 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

次号では「初音ミクの腕カバー」が来た。
肩を出しながら萌え袖をも演出できるこのアイテムには、いわゆる裾の部分に何かエレクトリックな模様が付いている。
シンセサイザーのボタンの様に見えるが、どこからも電源を取っていないためか、押しても何も反応がない。
サイズは不思議だ。人形用にしてはかなり大きい。むしろ人間が着用してちょうどいいくらいのサイズではないだろうか。
しかし髪留めも縮尺でみればそれくらいではあるため、意外にこれくらいでもちょうどよいのかもしれない。

その次の号は「初音ミクのシャツ」だった。
大きな襟を青緑の三角形が縁取りしている。色は灰色で、胸元に黄色のわずかなワンポイントがある。
初音ミクが持つ色は、ほんのわずかだが黄色もあった。
布地はツイルに似たもので、つやつやと反射率の高い光沢を持ちながらも肌触りがよくて、すこし冷たいような感じもある。
胴回りは非常に細く、これだけで初音ミクの細身の身体を想像できるほどだ。
それから「初音ミクのネクタイ」「初音ミクのスカート」「初音ミクのオーバーニーソックス」と続けざまに送られてきて、それらが届くたびに初音ミクがだんだん実体化していくような感覚を覚えた。

 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

全12号のうちの半数以上の過ぎ、9号目が届いたときには、俺はややいらだちを覚えていた。
雑誌は週刊で俺はそれを定期購読しているから、買いに走る必要もなく日曜になるごとに家の郵便受けにそれが送られてくる。
だが、肝心かなめの初音ミク本体がいつまで待っても来ないのである。
髪留めやらニーソックスやら、そんなものが欲しくて購読しているわけじゃない。
ミクだ。俺はミクが欲しくてこの雑誌を買っている。
あの青緑色のバカでかいツインテールと、ニコニコとしたかわいらしい顔、なんでも歌えるかわいらしい歌声、細身のボディ。
何より先に本体ではないのか?
考えるまでもないことだが、揃いつつあるアイテムがいかに可愛らしくても、それを着けるべき本体が無ければただのコレクションだ。
独身男のワンルームに初音ミクの衣装ばかりが揃っていっても何もことが起こることはなく、ただ単に人を部屋に呼びにくくなるだけである。
それに、気にかかるのは配送形態だった。
普通こういった雑誌では、毎号小さなパーツの寄せ集めを付録にすることで、それらをすべて組み合わせて大きな作品と相成るはずだ。
つまりこの「初音ミクを作ろう」であるならば、まず腕パーツ、次に足、次に胴体……と、そういう順番で送られてきてしかるべきである。
しかし前述の通り、来るのは服だのアクセサリーだの、どう考えても「完成後に装着するもの」しか送られてきていない。
これらが直接悪いわけではないが、こんなものはコスプレショップにでも行けばごく短時間で揃えることができる。
単なるグッズコレクションであるなら、毎週楽しみに待っている必要はない。
俺は購読のキャンセルを少し考えたが、しかし途中で辞めてしまった次の号が本体であるなら悔恨を残すと思い、とどめることとした。

 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

今日が、最終号が郵便受けに投函される日曜日だ。
ミクはまだ来ない。しかし確実に来るはずだ。
俺は玄関近くで待ち構え、郵便受けからストンという音がするや否や中身を確認しようとすると、外装の封筒を手に取った時点で前回までのものよりも圧倒的に薄っぺらいことに気が付く。
ペーパーカッターで封筒を切り裂くと、驚くべきことにそれには「最終号・初音ミクの心得」と銘打たれた小冊子がたった1冊封書されているだけだ。
心得だと?何に使うというんだそんなもの!
俺は呆れや憤りを通り越し、遂に出版社へ問い合わせを行うべく室内に戻り、机にあるスマートフォンを取る。
取ったのだが、スマートフォンの顔認証がうまく通らない。いったいこんな時に限って何なんだ。
いらだちはもはや誤魔化せず、俺は机に肘をのせ、乗り出すかたちになりスマートフォンを操作する。
すると俺の視界の両端に、青緑色の毛束がふしぎにふわりとしだれ落ちてきたのだ。

「……何だ?これは?」

思わず口をついて出る。
右手で左側の束に触ってみると、絹糸のようにさらさらとしたそれはまるで髪の毛のようで、同時に俺の頭にはすこしくすぐったいような感覚が起こる。
まるで誰かに髪の毛を引っ張られているような。
俺はやおら高まる不安感を打破するためだが、部屋の入口の方を向いている姿見に駆け寄り、自分の姿を確認しようとした。
しかしそこにははたしてあるべき俺の姿は無く、ただ戸惑いの表情を浮かべた初音ミクがひとり映っているだけだった。


This picture was generated by NovelAI, and thus may be included some problems.
If you have any problems, please contact me and I will deal with that immediately.

更新:2023/8/24 公開:2023/5/16

もどる